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阿武松の辛口一献

朝日新聞 息苦しい「魔女狩り」西村欣也

この記事に「喝」だ!



西村欣也(にしむらきんや、1956年~)は、朝日新聞社のスポーツ記者、編集委員。大阪府出身。早稲田大学法学部出身。報知新聞社を経て、1990年に朝日新聞社入社。同紙スポーツ面に署名入りエッセイ記事「EYE 西村欣也」を長年にわたり執筆している。

★まずは昨日の西村氏の記事を・・・

朝日新聞 夕刊 平成22年2月19日(金) @バンクーバー

息苦しい「魔女狩り」西村欣也

 国母和宏のバンクーバー五輪が終わった。ハーフパイプ予選2組の2位で決勝に進出した。決勝では8位。8位に終わったのではなく、8位入賞だ。17歳でのトリノ五輪予選敗退から4年。悔しさ9割にしても、1割の充実感は、その表情から確実に感じ取れた。
 それにしても、開幕前の騒動は何だったのだろう。
成田出国時の「腰パン」、ズボンからのシャツ出しに対し、日本オリンピック委員会(JOC)などに抗議が寄せられたことから、狂想曲は幕を開けた。JOCはあわてて入村式への参加を取りやめさせ、その直後の記者会見で国母の「ちっ、うるせいな」。「反省してま~す」発言が出た。
 さらに批判がエスカレートした。全日本スキー連盟からは競技参加の辞退までが申し入れられた。橋本聖子団長の判断で開会式への出席は禁止されたものの、競技への参加は許された。
 騒ぎ過ぎではなかったか。まるで「魔女狩り」だった。まず、服装問題。日本選手団公式服装着用規定に「日本選手団に認定された者は、自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」とある。確かに、国母はドレスコードに違反したかもしれない、しかし、それ以上でも以下でもない。
 記者会見の発言は非難を浴びても仕方ないだろう。「あれは僕のファッションです。でも、多くの人が不快に感じたとしたら謝らなければいけません」と話せば騒動は沈静化したかもしれない。
 今大会、フランス勢は全員が先の跳ね上がったひげを口の上に描いて競技に臨んだ。優勝したショーン・ホワイト(米)の髪はウエーブがかかり、肩よりも長い。これがそれぞれの国で問題になるだろうか。
 数年前、大橋巨泉さんと対談をしていて、民主主義の根幹に話になった。「『君の言うことには百%反対だ。でも、君の発言の自由は命をかけて守ろうと思う』。これが民主主義じゃないですか」
 国母のファッションや言動に、僕も確かに違和感を感じる。でも、それに対して寛容でありたいと思う。価値観の押しつけは息苦しさしか生みださない。



この記事は朝日新聞に昔からよくあるスタイルで、「国母は悪い8:国母は悪くない2」の現状から、少数の「2の側」の視点で書くもので、ちょっと反体制を気取った「朝日新聞やテレ朝にありがち」なスタイルなのだ。「魔女狩り」の言葉から、国母批判の「理不尽さ」を強調しているのだろう。国母の人柄の良さが「騒ぎ以降」多く報道されているが、批判の対象は「腰パンスタイル」や「記者会見」での姿なのである。報知新聞時代の西村氏の野球記事は良かった!が、朝日の編集委員になってから、そのキレが失われていくばかりで・・・残念だな!

なぜ地域性や国民性が違うアメリカやフランスと比較して、日本が同じでなくてはならないのか?日本選手団には日本的な道徳観、倫理観が適用されて当然である。家庭でも学校でも「式」にはキチンとした服装で参加することと指導されて、私たちの大部分が、そうしているではないか!結婚式・葬式には「ふさわしい服装、話し方」があるではないか!「21歳の大人」が葬式で「腰パン」「ちっ、うるせいな」で許されますか?『確かに、国母はドレスコードに違反したかもしれない、しかし、それ以上でも以下でもない』という西村氏の思考回路は「反体制」を気取っている上辺だけのもので、どう考えても腑に落ちない!

国母の努力や人知れない優しさの存在は認めるも、「21歳の大人」としての「常識力のなさ」は非難されて当然であり、それを見失った彼は責任を取るべきなのである。「1度ならずも2度のミス」をした国母に対して、なぜ周囲が寛容である必要があるのか?「21歳の大人」に必要なのは寛容ではなく、「甘く見ていた世間への反省」と「周囲の目の厳しさ」を教えることである。

「21歳の大人」に西村氏が寛容を切望することが理解しがたい。一流アスリートの血のにじむような努力は賞賛に値するが、時や場所をわきまえないで「自分のスタイルですから・・・」と「腰パン」「ちっ、うるせいな」と押し通すことは「ワガママ・驕り高ぶり」でしかない。「民主主義の根幹」が「発言の自由」であるとしても、今回の国母の件には関係がない。国母は「大人相当の年齢」であり、「マナー・ルール」を守った上でこそ、「発言の自由」は存在するのだから!



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